マンハイムの「イデオロギーとユートピア」から読み解く集団思考
- 作者: カールマンハイム,Karl Mannheim,高橋徹,徳永恂
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/02
- メディア: 新書
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わたしたちは、言語を用いて他者と考え方を共有している。一般的には、言語の習得は幼児期から自然になされ、発話は比較的小さなころからも自然に生じる。言語を使うことで、わたしたちは思考し、その思考にもとづいて行動したりする。
成長するにつれて、わたしたちは自然にこれは「自分の考え」、あれは「他人の考え」という風に自己と他者との思考を区別するようになる。だが、他者との連帯の中で学業や仕事、あるいは趣味の活動などを通じて自然と同じような思考や行動様式を身につけることがある。
個人的な経験では、社会人になり会社組織で働くようになると、自分が所属している会社はとても素晴らしいという、一種の自己愛にも似たような感覚を持つことがたびたびあった。それが、たとえ地域商圏から見たら非常に小さなシェアしかもたない企業であっても同様な感覚を覚えたことがある。
しかしながら、それは絶対的な真実というよりも、むしろ自らの所属意識がもたらす錯覚が多分に含まれている場合が多い。ひとたび、他の組織に移ると、以前の組織の欠点が見えてきたり、反対に悪いと思っていた点も実はそんなに悪くなかったかもしれないと思えたりするものである。
このようなことを考えていた時に、マンハイムの「イデオロギーとユートピア」の中にあった文章がとても興味深かったので紹介させていただきたい。
「単独の個人が、固有の話し方、思考様式を自力でつくりだす状況は限られる。自分が属している集団の言葉で話す。集団が思考する流儀に従って思考する」p.6
「単独の個人が思考するというのは誤りである。正しくは、個人は彼以前に他人が考えてきている思考に加わるといったほうがよい」p.7
この論点に関しては、実感として頷ける部分がが多い。例えば、地方の方言が使用されているようにその地方に生まれ育った人は自然と方言を覚えて使用している。また、広告やコンサルタントに携わっている人たちは業界用語が比較的多く、その言葉には一種独特の意味が含まれている感じがする。
他にも、集団が思考する流儀に従って思考するということは日本人にとっては馴染みの深いものだろう。忖度という言葉が最近よく使われているが、日本的な集団の中では直接的な言葉で伝えるよりも、暗に示すようなやり方で意思決定がなされることも多い。
最後に、マンハイムが述べている単独の個人が思考するというのは誤りであるという論点は、多くの示唆を与えてくれる。つまり、個人がどれだけ自分だけで考え、良いアイデアを生み出したと考えたとしてもそれは先人の知恵やこれまで集積されてきた人類の叡智から受けた恩恵が大きいのだということなのだろう、と。
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