新潟スタートアップ勉強会

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「正法眼蔵」の10の言葉から学ぶ思考法


正法眼蔵〈1〉

正法眼蔵〈1〉

 今回は、「正法眼蔵」という道元が書いた禅の思想書からいくつかの言葉を紹介したいと思います。


 この「正法眼蔵」に出会ったのは今から5年ほど前でしょうか。当時は、西洋哲学から東洋哲学まで主要な書籍を読んでいました。ふとした時に、図書館の本棚に端から端まで並ぶ書籍を発見し、そのタイトルがこの「正法眼蔵」でした。いくつかのバージョンで出ており、私が読んだのは石井 恭二氏が書いたものです。


 

 不思議と心に惹かれ、夜通し読みふけたものです。そんな中で出会った言葉を紹介します。


 


1:「見るものによって、見られるところは同じではないのだ」


 これは、ある対象について、私たちは全てを同じように捉えるわけではないということを示しているように思います。特定の出来事でも、解釈は多様でありえるということでしょう。


2:「ただ己の脚にまかせて学ぶのみ。それは誰も見ることができない。全力を奮って学ぶのである」


 人生100年時代とも言われ、継続的な学習が重要となっています。この言葉からは、学びは自らが行動することで得られるものだということ。また、各自が今までどれだけ学んできたかということは他人には分からないということ。そして、それぞれの目標に向けて必死に学ぼうということを意味しているのではないかと思います。



3:「風が鳴るのではない、鈴がなるのではない、心がなるのです」


 とても、心に響く言葉です。こんな文章を書けるようになりたいものです。


4:「智は外から来るものではない、入るものではない。機に逢って発するのだ」


 智とは、物事を理解する能力のこととして捉えてみます。物事を理解するとき、ふとした瞬間にひらめいたことは誰かしら経験があると思います。



5:「枯れた海は既に海ではない。したがって、海は枯れることはない」


 道元の論理的思考は、破壊力抜群ですね。もはや何も言うことはありません。



6:「眼前に提出されている問いを、手から落とすことのないようにせよ」


 問いを持つことは、世の中を理解し、新しいことを発見するために必要なことです。しかし、1日を振り返りもせず、その日に疑問に思ったことを、次の日には忘れてしまうことがほとんどです。次から次へと新しい問題、ニュース、情報が入って来る中で、眼の前にある問いについて真剣に向き合うことの重要さを改めて認識させられます。



7:「過去は現在のうちにあり、現在は限りない過去をも未来をも映すのだ」


 特に、インターネットが登場して以降、私たちの生活は著しく変化しています。しかし、その技術や精神は先人たちの偉大な努力の上に成り立っていることを認識させられます。


8:「一現象を通じて万象に通ずるのである」


 具体的事象から抽象的事象へ。いわゆる天才と呼ばれる人たちは、抽象化の能力がずば抜けて高いように思います。


9:「画でなければ、言葉でなければ、飢えを癒す薬を得られない。飢えを表現しなければ、それを知ることがない。表現された飢えによらなければ、飢えの理念は得られない、飢えを表現する言葉も現れない」


 「#MeToo」運動や「保育園落ちた日本死ね」などはその言葉がなければ社会は変わらなかったかもしれません。<飢え>は表現されて、初めてその事柄の意味を知ることができるということなのでしょう。



10:「今の人は真実を求めることが稀であることから、身に修行もなく心に悟りがなくとも、他人に褒められ、あの人は行いも知識も相応の者だと云ってくれる人を求める」


 道元の言う<今>とは、鎌倉時代初期ですので今から800年ほど前のことですが、現代にも通ずる言葉として胸に刻んでおきたいです。



 以上、10の言葉を紹介しました。1つでも心に響く言葉があれば幸いです。


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