新潟スタートアップ勉強会

当ブログは新潟スタートアップ勉強会の様子や、起業に関するコラムなどを定期的に掲載いたします。

読書をする人が減っている今、改めて本の価値を問う

 読書をする人が少なくなくなっているらしい。大学生にいたっては、半数以上が1日の間に読書をすることなく過ごしているようである。


 スマートフォンが世の中に登場したのは、21世紀に入ってからである。しかし、普及する速度が早く、今では誰もが当たり前に持っている機器となった。何か調べたいことがあれば、手元にあるスマホGoogle検索すれば大抵のことは分かる。必要最低限のことであれば、スマホがあれば事足りるのである。


 さらに、SNSの普及で個人が持っている情報が短時間で共有されるようになった。社会の変化の速度が早い現在では、情報はすぐに陳腐化し、私たちは常に最新の情報を求める。そのような背景もあり、時間も場所もお金もかかる本を読むという行為が日常の生活の中で隅に追いやられるのは想像に難くない。


 しかし、そういう時代だからこそ、本を読むという行為が一層重要になってくる。なぜなら、本というのは作者がかなりの時間をかけて文章を書き、掲載されるデータの事実関係を調査し、出版社がある程度の情報の質を担保してくれているのである。


 一般に新書は10万字程度、単行本は15万字程度とされている。原稿用紙に換算して、300枚から500枚程度を書けなければ本という形で世の中に出ることはないわけです。これだけの文章を書くには、かなりの量のリサーチと、文章力が必要になります。


 つまり、それだけの時間と労働力をかけて書かれたものだということを考えると、役に立つ本が1000円〜2000円で買えるということは驚くべき投資対効果があると言えます。


 さらに付け加えれば、個人的経験から世の中に出回る解説書の類い(特にビジネス本に多い)は、本人の著作を読むよりも有益である事は少ないと思っています。もちろん、エッセンスを掴むという意味では解説書を読むことでなんとなく理解する事はできるかもしれません。ですが、結局のところ原著を読まないで解説書ばかり読んでいるのは、行ったこともないレストランに、さも行ったことがあるかのように振る舞うようなものでしょうか。


 また、人それぞれ重要だと感じる文章は違います。そして、同じ本でもその時々の状況によって感じ方が変わります。デール・カーネギーの「道は開ける」を本当に幸せな時に読んでもたいして感銘は受けないでしょうし、反対に不幸のどん底に落ちている時に読めば人生が変わるほどの効果を発揮します。


 Googleがどれだけ情報を集めようとも、本を読むことの価値はなくなることはないのです。



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観察力を鍛える

 観察力を鍛えることは、ビジネスの現場では大切である。2つの理由がある。1つは、変化を捉える能力を持たないと、何か重大な変化の兆しが目の前にあらわれていても気づかない。2つ目は、仕事が単なる作業になってしまうことを防ぐことができる。どんな場面でも、観察するという意識を持っていれば改善する要素を知ることができる。


 もし、観察力をまったく持たず世界が変化していることに気づかないとどうなるか?同じ業界に身をおき、10年後、20年後も今と同じような仕事があると考えるのは変化の早い時代にはふさわしい考えとは思えない。


 ビジネスの現場では、標準化が可能な領域と、個別レベルにおける最適化が求められる領域が存在する。それらを区別するためには、現場においてどのような手順で作業が行われているのか、不要な作業はないか、より高い価値を生むためのヒントはないかといったことを観察することは重要なことであろう。


以前、私は飲食店のホールスタッフとして働いたことがある。職場は忙しかったが、よくお客様を観察しているといろいろと見えて来ることがあった。



 例えば、お客様が呼び出しボタンを探している時に、「ご注文は、お決まりでしょうか?」と言うようにしていた。 むろん、そんな都合の良いタイミングで偶然近くにいるわけではない。実は、メニューを決め終わると、お客様はたいていの場合、店員を探すか、メニューを一旦置くといった動作をするのである。


 お客様としては、わざわざボタンを押していつ来るか分からない中で待ってるよりも、素早いオーダーができる。これはファーストオーダーの場合は、特に重視していた。


 これは一例であるが、お客様を観察することで、事前に要望に応えることが可能となるのである。ただ、オーダーをとって、配膳し、下膳するだけでももちろん仕事としては問題はない。


 だが、より高い価値を生み出す仕事をしたいと考えているのであれば、今目の前に仕事を観察するだけでも、多くの改善点が見えて来るはずである。


 では、観察力を磨くためにはどうすればいいだろうか。いろいろな方法があると思うが、通勤の間に出会う様々な人、物、事を一度よく観察してみることがオススメできると思う。毎日、同じルートで通っている道なのに、春になるとチューリップが植えられていたり、いつの間にかコンビニが潰れてしまったりしている。世の中は、日々、刻々と変化しているのである。

 


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「正法眼蔵」の10の言葉から学ぶ思考法


正法眼蔵〈1〉

正法眼蔵〈1〉

 今回は、「正法眼蔵」という道元が書いた禅の思想書からいくつかの言葉を紹介したいと思います。


 この「正法眼蔵」に出会ったのは今から5年ほど前でしょうか。当時は、西洋哲学から東洋哲学まで主要な書籍を読んでいました。ふとした時に、図書館の本棚に端から端まで並ぶ書籍を発見し、そのタイトルがこの「正法眼蔵」でした。いくつかのバージョンで出ており、私が読んだのは石井 恭二氏が書いたものです。


 

 不思議と心に惹かれ、夜通し読みふけたものです。そんな中で出会った言葉を紹介します。


 


1:「見るものによって、見られるところは同じではないのだ」


 これは、ある対象について、私たちは全てを同じように捉えるわけではないということを示しているように思います。特定の出来事でも、解釈は多様でありえるということでしょう。


2:「ただ己の脚にまかせて学ぶのみ。それは誰も見ることができない。全力を奮って学ぶのである」


 人生100年時代とも言われ、継続的な学習が重要となっています。この言葉からは、学びは自らが行動することで得られるものだということ。また、各自が今までどれだけ学んできたかということは他人には分からないということ。そして、それぞれの目標に向けて必死に学ぼうということを意味しているのではないかと思います。



3:「風が鳴るのではない、鈴がなるのではない、心がなるのです」


 とても、心に響く言葉です。こんな文章を書けるようになりたいものです。


4:「智は外から来るものではない、入るものではない。機に逢って発するのだ」


 智とは、物事を理解する能力のこととして捉えてみます。物事を理解するとき、ふとした瞬間にひらめいたことは誰かしら経験があると思います。



5:「枯れた海は既に海ではない。したがって、海は枯れることはない」


 道元の論理的思考は、破壊力抜群ですね。もはや何も言うことはありません。



6:「眼前に提出されている問いを、手から落とすことのないようにせよ」


 問いを持つことは、世の中を理解し、新しいことを発見するために必要なことです。しかし、1日を振り返りもせず、その日に疑問に思ったことを、次の日には忘れてしまうことがほとんどです。次から次へと新しい問題、ニュース、情報が入って来る中で、眼の前にある問いについて真剣に向き合うことの重要さを改めて認識させられます。



7:「過去は現在のうちにあり、現在は限りない過去をも未来をも映すのだ」


 特に、インターネットが登場して以降、私たちの生活は著しく変化しています。しかし、その技術や精神は先人たちの偉大な努力の上に成り立っていることを認識させられます。


8:「一現象を通じて万象に通ずるのである」


 具体的事象から抽象的事象へ。いわゆる天才と呼ばれる人たちは、抽象化の能力がずば抜けて高いように思います。


9:「画でなければ、言葉でなければ、飢えを癒す薬を得られない。飢えを表現しなければ、それを知ることがない。表現された飢えによらなければ、飢えの理念は得られない、飢えを表現する言葉も現れない」


 「#MeToo」運動や「保育園落ちた日本死ね」などはその言葉がなければ社会は変わらなかったかもしれません。<飢え>は表現されて、初めてその事柄の意味を知ることができるということなのでしょう。



10:「今の人は真実を求めることが稀であることから、身に修行もなく心に悟りがなくとも、他人に褒められ、あの人は行いも知識も相応の者だと云ってくれる人を求める」


 道元の言う<今>とは、鎌倉時代初期ですので今から800年ほど前のことですが、現代にも通ずる言葉として胸に刻んでおきたいです。



 以上、10の言葉を紹介しました。1つでも心に響く言葉があれば幸いです。


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方向性がずれていくチームの立て直し方

 組織に属していると、必ずと言っていいほど直面する課題がある。組織内において不和が生じ、メンバー同士が互いに意見の相違が大きくなり組織としての能力が最大限発揮できない状況に陥いることがある。この課題をどのようにしたら、メンバー同士の意識を良い方向へもっていけるだろうか。


 一つの案は、対立するメンバーやグループ同士での話し合いの場を作ることです。しかし、そもそもお互いに敵対する意見を持っている場合には、話し合いの場を設けても議論が紛糾するだけで解決にはいたらない可能性が高いのではないかと思います。


 もう一つの案としては、第3者が介入することにより対立する議論を収束される方法があります。この場合、組織内において利害関係のない人があいだに入る必要があります。先入観のない状態で、公平な観点から両者の意見を聞きながら落とし所を見つけることが鍵となるのではないでしょうか。



 さらに、視点を変えて別の方法を思いついたので紹介したいと思います。それは、善い悪いという善悪二元論のような二項対立の図式をずらすことでお互いに本当に重要な論点を見出せないだろうかというものです。


 二項対立の図式をずらすという点について、詳しく説明します。私たちは、物事を単純化し「あの人は仕事ができる人だ」、「あいつの考え方は間違っている」など可か不可か、正解か不正解かというように、どちらか一方に思考が偏ることが多い。むろん、このような思考自体は悪いことではない。現実の世の中は、複雑な構造を有しており、それら全てを理解することは困難である。そのため、世界、物事、他者を単純化することで理解を容易にすることができる。


 しかし、他者と対立している場合はとかく相手の欠点にばかり目につくようになり、最悪の場合喧嘩別れ(企業においては、退職や解雇など)に終わってしまう。そこで、二項対立をずらすことをする。すなわち、対立構造を一旦横に置き、より大局的な視点から状況を見ようと言うものである。良い悪いという二元論ではなく、両者が持つ良い面の中には状況や文脈次第では悪くなることもあるということや、自分が正しいはずだから相手が意見を変えるべきだという思考からどちらも間違っている可能性があり、第3の道があるかもしれないという可能性の余地を残すことができれば、お互いの未来は良い方向へ進んで行くのではないだろうか。


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農業の自動化について思うこと

 かつて農業の分野というのは、日本国民の多くが従事していた。1950年代には就業人口の約45%程度が農業で働いていたとされる。しかし、その後製造業やサービス業へ就業人口の移動が始まり、2000年代には農業就業人口の割合は5%程度である。


 農業への就業が減っている主な要因としては、所得が少ないこと、技術の習得が難しいこと、農地不足、設備投資資金が必要なことなどが考えられる。かつて農家をやっていた人に話を聞くと朝から晩まで働いて、土日も休みがなかったなどと苦労された話をされることが多い。所得が少ない割に、労働量が多いため他産業に対して魅力が乏しいように思えてしまうのも無理はない。


 生産する商品に何らかの魅力があるか、農業という職業への憧れや既存設備を承継できるなど理由がなければなかなか参入することは難しいのではないだろうか。


 最近では、ドローンによる農薬散布の自動化や、GPSを利用した自動運転トラクタや田植機などが既に実用化されている。これらの技術を使えば、長年培ってきた技術を一から学ばなくともそのほとんどがシステム化され、わずかな操作によって自動で生産を行うことが可能となる。


 しかしながら、結局のところこれらの自動運転設備はかなり大きな設備投資が必要となる。それだけの投資負担に耐えられる中小事業所は限られるのではないかと思われる。また、イニシャルコストが高ければ、ある程度の生産回数をこなさないと損益分岐点にまで到達しないだろう。設備コストが下がり、人がやるよりも機械を数回使うだけで元が取れるようにならなければ、なかなか農業分野における自動運転技術の採用は進まない気がします。


 ただし、一つだけ言えることは、設備コストは年々下がるはずでどこかの時点で一般的に普及すればそこそこの生産効率アップに寄与することは確かです。問題は、それが5年後なのかそれとも10年後なのかが分からないことです。


 それよりもむしろ問題とすべきなのは、生産性を高めると同時に商品にどのような付加価値をつけるかという意識を農業従事者が一丸となって持つことだと考えます。技術的な要因も大切ですが、結局のところ人が作物を育てていることに変わりはありません。完全に自動化される生産方式は効率の面では確かに優れていますが、私たちは生産が効率化された低価格のとうもろこしが好きなのと同じぐらい、顔が見える生産者が作った大事に育てられたトマトもまた同じぐらい好きでありえるのです。



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自由の捉え方

 四月に入って、副業解禁の動きがさらに広がっています。すでに、厚生労働省では「副業・兼業の促進に関するガイドライン」をまとめ、「モデル就業規則」にある副業禁止の規定を削除したことは周知のことと思います


 これからは大企業だけでなく、中小企業でも副業を認めるところも増えてきそうですね。労働者が一つの会社だけで働くのではなく、そのスキルや経験をより広く社会に還元できるような社会が実現して欲しいなと思います。


 副業というのは自分がやりたいことをやれるという意味において、本業よりも自由度が高いものになります。自分が好きなこと、得意なこと、儲かること等、自分の意思で自由にやりたいことをやれるわけです。自由に決められるんだ!と思うと、何だかワクワクします。だからといって、好き勝手なことをして、会社に迷惑をかけたりするのは好ましいこととは言えません。



 今回は、この「自由」の意味を一度立ち止まって考えてみたいと思います。


デジタル大辞泉によれば、自由とは

1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。

2 勝手気ままなこと。わがまま。

3 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。

4 法律の範囲内で許容される随意の行為。


 これらの定義のうち私たちが日常的に使っているのは1と2の用法でしょう。ここで興味深いのは4に示される法律との関わりです。より広くとらえれば、法律で禁止されていなくとも、社会の規範を逸脱した行為などは「自由」という言葉の中には含めてはいけないでしょう。


 最近では、主に中国系観光客向けの違法白タクが摘発されているとニュースで話題になっていました。アプリ経由でタクシーを呼び、料金は日本国内で支払う必要がないものが使われているため、摘発するのがむずかしいようです。日本にせっかくインバウンドでやってきても、日本国内にマネーが還流しないというのは由々しき事態だと言えます。


 インターネットやアプリなどを使えば、国を超えて自由に副業ができるような時代ですが、その自由の解釈を間違えば国によっては法律違反となります。そういう意味では、副業を始めたいと思っている人は法律の知識はしっかりと身につけておいた方がいいのかもしれませんね。


 何か事を始めるのは自由ですが、自らの行動に責任を持つことが大切ですね。


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自己評価と成長について

  2018年になったと思ったら、あっという間に4月も終わりを迎えます。今年から新しく新入社員として企業に入社し働き始めた人も多いのではないでしょうか。


 新入社員に限らず、企業で働いている人も4月というのは人材の入れ替わりが激しい時期でもありますね。そんな中で私がこの時期によく感じるのは、自己評価が成長にどうつながっているのかなということです。新入社員の中には、やる気満々で高い自己評価を持っている人もいれば、低い自己評価を持っていて何をやるにも自信なさそうに行動している人もいます。


 では、この自己評価について考えてみたいと思います。


 自己評価というのは、簡単に言えば自分についてどう思うかということと、他者から見てどう思われているかという要素の合計であると思います。自分からみた自分の評価というのは、これまで成し遂げてきた業績であったり、ステータスや物質的な豊かさ等が関係しています。他方、他者からみた自分の評価というのは周囲の人間から受けた実際の評価であったり、自分が周りの人から思われているだろうと期待している評価であったりします。


 これらは、絶対的な評価ではなくあくまで相対的な評価であり、環境や時代背景などにも多くの影響を受けるので100%正しい自己評価というのはあり得ません。しかし、良い自己評価と良くない自己評価というものはあるような気がしています。


 良い自己評価とは何かというのは一概には言えませんが、例えば自分の評価が他者の評価とある程度一致していることだと言えるのではないかと思います。このような状況であれば、自分を信じて行動するようになれると思いますし、自分に足りない部分があるという事を自覚した上で他者との協力関係を築くこともできるのではないでしょうか。


反対に、良くない自己評価をしているのは、歪んだ価値観を持っていたり、人生に対して投げやりな態度を取る人に多いような気がします。自分には能力がないと思い、実際には周囲から能力が高いと評価されているにも関わらず昇進を辞退してしまうような人がいます。また、自分の劣った部分がどうしても気になり周囲の目からしたらたいしたことがないような部分にこだわったりするような人もいます。


 悪い自己評価をする人に共通するのは、自分自身をありのままに見つめることができないことのように思います。私自身も、若いころは自信に満ち溢れ、何でもできるような気がしていました。しかし、現実は失敗だらけで自信を失くした時期もありました。けれども、そこで諦めずに他者の批判を受け止め、自らが成長できる機会を与えてくれたのだと自分が足りない部分を受け入れるようになってからは仕事面もプライベートも好転した気がします。


 重要なのは、失敗は恥ではないということに気づくこと、自分自身をありのままに受け止めること、こだわりを捨て他人の意見にしっかりと耳を傾けることではないでしょうか。



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